第15話 / DIGGIN’THE SOUL

 三章~綻心たんしん

「美味しい……クリームが濃厚で、たっぷり詰まってる」
「そう、だね……」

 羽海はそう言いながら、二つ目のベビーシュークリームを取り出していた。
 私の手には一つ目のそれが重くのしかかってきている。

「ホントにそれ、全部食べるの? 持ち帰りじゃなく?」
「? うん。食べ歩きしやすいようにミニシューにしたんだし」

 羽海が持つ箱にはまだたっぷりとシュークリームが入っている。
 そう言って一口ほおばる姿に、私はついにあきれを通り越してしまっていた。

「その細さで、あの量どこに入ってるの? 理解が追い付かないんだけど……」
「普通じゃない?」
「う、うん……」

 と、とにかく落ち着いてきたみたいでよかった。
 松本の街が、春の風ごとやさしく迎えてくれていた。
 午後の陽は傾きはじめていて、通りにはあたたかなオレンジ色の光が差している。
 石畳を踏む足音がコツコツと響き、少し冷たい風が頬をなでていく。
 木造の建物や、風に揺れるのれん。そんな街並みもまだ残っていた。
 歩いているだけで、気持ちがふっと軽くなる。

「そういえば羽海って、この辺よく来るの?」

 羽海は少し歩みを緩めて、足元の石畳を見つめた。

「……うん。でも中町通りの方ばっかりかな。なんか好き。落ち着くんだよね」

 一拍おいて、羽海はぽつりと続けた。

「昔は……家が、そういう場所だったの。お母さんの唄が聞こえて、囲炉裏いろりの匂いがして、寒いけど温かくて……」
「そう……なんだ」
「でも、今はもう、そこに私の居場所はないの」

 その言葉はただ静かに事実を受け入れているようだった。

「朱璃にとっては、ここがそういう場所なんでしょ? いいなって、思った」
「……うん。だけど、たぶんね――いつかは、変わっていくんだと思う」
「そう……」

 少し寂しそうに目を伏せる羽海。
 私はいつも心の中にある言葉をそっと口にした。

「でもさ……いろんなものが変わっても、変わらなくても、自分の「これが好き」って気持ちがあればいいんじゃない?」
「そう……そうかもね」

 羽海はまた何か思いつめるように顔を伏せる。
 二人の間に風が吹き抜ける。
 その静けさが少しだけあたたかかった。

「そうだ、あがたの森行かない? これからちょうど夕日が差し込んで綺麗なんだよ」

 あがたの森公園にたどり着いた頃には、夕暮れが空をじわじわと茜色あかねいろに染め始めていた。
 遊具のある広場では、親子連れが思い思いに過ごしている。
 動物を模したバネ付きの遊具にまたがった子どもが、母親に揺らされながら楽しそうに笑っていた。

「アハハ、楽しそう」
「うん……そだね」

 羽海は最後のひとつになったシュークリームを頬張りながら、どこか浮かない面持ち。
 うーん、また微妙だったか……。
 私は辺りを見回して、楽しそうなものを発見する。
 上部のワイヤーからぶら下がったロープに結び目があって、ターザンができるやつ。
 あれだ!

「お~っし! いくぞ~!」
「え? 朱璃?」

 私はそのロープに駆け寄り、勢いよく飛び乗った。
 そのままワイヤー沿いにビューン! と行けるはず――だったのに、勢いが足りなかったのか、その場で前後に揺れるだけ。
 そして、バランスを崩して見事に落下

「ちょっと、大丈夫!?」

 羽海があわてて駆け寄ってくる。

「あたたた……」

 私は立ち上がりながら、照れ隠しに頭をかいた。

「だいじょぶだいじょぶ、失敗失敗」

 心配かけまいと笑ってみせる。
 実際、ちょっとバランスを崩しただけで大したことはなかった。

「ちょっと。顔……砂だらけよ」
「え? ホント? 顔洗ってくる」

 すぐ近くにあった手洗い場に駈け寄る。
 上が水を飲む用で、下が手洗い用。
 下の蛇口を上向きにひっくり返し、ひねる。

「わっぷ!」

 思いの外勢いよく水が噴き出し、顔面に直撃。
 口や鼻にまで水が入って、私はその場でのけぞった。

「ゲホッ、ごほっ」
「ちょっと、なにやってるの。大丈夫? 落ち着いて」
「ゴホッ、あたた……」

 羽海の声が近づいてくる。
 砂だらけだった顔は、今やびしょ濡れになっていた。
 髪や服まではそれほど濡れなかったのが救いかもしれない。
 そんなことを思っていると、羽海がふっと私の視界に入り込んできた。
 目の前でしゃがみ込み、私の顔を覗き込むように見つめてくる。

「はい、動かないで」
「え……?」

 言われるままにじっとしていると、羽海は手にしていたハンカチをそっと取り出して、私の頬に当てた。
 白地に薄いブルーのラインが入った、羽海らしいシンプルなハンカチ。
 人に顔を拭かれるなんていつぶりだろ……。

「もう、子供じゃないんだから気を付けなよ」
「あはは、言葉もありません……」
「怪我したりしてからじゃ遅いんだから」
「えー、でも羽海に元気になってもらいたかったから」

 その言葉に、羽海は少しだけ目を伏せた。

「……そう」

 ぽつりと呟くと、手を止め、そっとハンカチをたたんでポケットにしまう。
 そして何も言わず、ふいにそっぽを向いて歩き出した。
 私は慌てて、その横に並ぶように駆け寄った。

「羽海、ありがと」
「……ううん、私こそ」

 顔を背けたままの声は、風に紛れて聞き取りにくい。

「え? 何?」
「……別に。どういたしまして」

 その言葉は確かに優しくて、でもどこかくすぐったくて。
 私は思わず、ふふっと笑ってしまった。

 旧制高校の校舎をそのまま活用したレトロな建物。
 ガラス窓が連なる木造の廊下には、夕日が差し込み、床に長く影を落としていた。

「ここ、昔の学校なんだって」
「……ふうん。なんか、時間が止まってるみたい」

 羽海がぽつりと言って、木のベンチに腰を下ろす。
 私も隣に座って、ふぅと一息吐いた。

「高校生の時にさ、この公園で写生大会やったことあるんだよね」
「朱璃が? なんの絵描いたの?」
「なんかよく分かんない建物描いたら自由すぎるって言われたの。先生に」
「……朱璃っぽい」

 その一言に、思わず二人でくすっと笑い合った。
 その時だった。
 校舎の奥の方から、ふと――歌声が聞こえてきた。

「……ん?」

 遠くから聞こえるその音は、どこか懐かしくて、まっすぐで、
 日常のざわめきを、ふっと消してしまうような透明感があった。

「合唱……かな?」
「みたいだね。高校生かな?」

 しばらく黙って、私たちはその音に耳を澄ませた。
 羽海が、小さく呟く。

「朱璃は……歌、好きだった?」
「え?」

 羽海は私の言葉を待たずに続けた。

「昔はね、よく歌ってたの」

 その横顔は、どこか遠くを見るようで。
 そこにあるはずのない記憶の風景を手繰り寄せるような、そんな目をしていた。

「……今は?」

 その問いに、羽海は答えなかった。
 ただ、その代わりに、小さく鼻歌のようにハミングを重ねた。
 さっきの合唱の旋律に、そっと寄り添うように。
 懐かしくて、あたたかくて――でも、少しだけ切なくて。
 私はなにも言えずに、ただ隣でその音を聴いていた。
 夕日が、校舎の窓を金色に染めていく。
 羽海の髪が、淡く光に透けていた。
 静かな時間――言葉はいらなかった。
 春の夕暮れが、私たちの間にほんの少しだけ、心地よい沈黙をくれていた。
 スマホの着信音が鳴ったのは、そんなときだった。
 静けさを乱された気がして、思わず顔をしかめる。
 ポケットからスマホを取り出すと、画面には「店長」の名前。

「ごめん、ちょっと出るね」

 私は立ち上がり、少しだけ離れた場所で電話に出る。

「朱璃です」
『今、どこにいる?』

 店長の焦った声。……珍しい。

「えっと……あがたの森公園。羽海と一緒にいるけど……」
『ああ、ちょうどいい』
「……え?」
『準一級緊急事態だ。あがたの森公園にある文化会館で陌霊の被害が確認された』

 その言葉に、心臓が大きく跳ね上がるのを感じる。
 それはさっきまでのささやかな日常さえも崩れていく――
 そんな報せだった。

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この記事を書いた人

長野県松本市を拠点に活動する2人組の作家です。

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