第20話 / DIGGIN’THE SOUL

 四章~心唱しんしょう

「朱璃っ!」

 羽海の声に振り返る。
 さっきまで羽海が相対していた楽譜は、まだ封印も浄化もされていない。
 にも関わらず、羽海の手元にあった。

「羽海っ!?」
「もう大丈夫」

 その一言に、私は何かが違うと気づく。
 抑えていた陌霊を弾き飛ばし、その勢いのまま羽海の横に着地した。

「朱璃、陌霊の浄化、試してみていいかな」
「え?」
「たぶん……出来ると思う」

 そういう羽海の瞳には自信と、少し不安が滲んでいるように見えた。

「わかった」

 私は陌霊の方に向き直る。
 御札はもうなかったが、祝詞だけでも多少動きを抑えることは出来るだろう。
 簡易封印で動きを止める。
 羽海は胸の前で両手を合わせ、まぶたを閉じた。
 すると薄い青の光が髪先から立ち上り、空気が柔らかく波打つ。
 その波に導かれるように、小さな精霊の光が彼女の周りに集まってきた。
 羽海がそっと口を開く。
 清らかな旋律が広がり、陌霊の黒い靄をかすかに削りとっていく。
 透明で、儚そうで、それでも確かに真っ直ぐな音。
 その音に陌霊が抑えきれないほどの強い力で反応した。
 大きく甲羅を開け、牙のような鍵盤をむき出しにして飛びかかる。

「羽海ッ!」

 私は咄嗟に肩を抱き寄せ、羽海ごと床を転がった。
 すぐ背後で爪牙そうがが床板を砕き、破片が頬をかすめる。
 転がった勢いのまま、羽海を庇うように覆いかぶさる。
 息が荒く、羽海の肩が小さく震えているのが腕越しに伝わった。

「大丈夫、大丈夫だから……」

 羽海は唇を噛みしめ、立ち上がった。
 視界の端で、影が大きく広がっていく。
 顔を上げたときには、陌霊が目前に迫っていた。
 それを見据える羽海の瞳は諦めない強い意志がこもっていた。

 ――もう少しなんだね。

 私は羽海の横に立ち、彼女の手を握る。
 一瞬、目が合い、互いに頷く。
 そして改めて陌霊に向き直る。
 羽海が息を吸い、音を奏でるように唄い始める。

 ――次の瞬間、陌霊の記憶が流れ込んできた。

―――

 ――柔らかな照明の下、磨き上げられたグランドピアノ。
 ホールに響くざわめきと拍手。
 指が鍵盤を優しく押し、澄んだ音が響き渡る。
 観客の笑顔が、その音を祝福していた。
 場面が暗転する。
 無人の教室。
 ほこりの匂い漂う倉庫の隅。
 誰も弾かないまま、時間だけが積もっていく。
 木目もくめは乾き、弦は緩み、音は閉ざされた。

(そっか……この子、私と同じなんだ)

 幼い日の記憶が重なる。
 母のうたは、いつも家の中心にあった。
 その隣で、うたっていた自分。
 とても幸せで、満たされていた時間。
 けれど、ある日を境に、その時は止まった。
 才能がないと告げられ、うたう意味を失った――。
 うたえない日々。
 だからこの子が……。

―――

 羽海は目を閉じ、呼吸を整えた。
 一拍、二拍、三拍。
 倉庫の中でひとり寒さに耐えるピアノの姿。
 母の背中に寄り添い、同じ旋律を覚えようとする幼い自分。

(――まだ怖いよ。でも――)

 羽海は目を開けた。
 光が瞳に宿る。
 手を握り返す。
 その視線はずっと遠く、けれど確かに〝ここ〟にある場所へ向けている。

「……お願い。あなたのこえを、聴かせて」

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この記事を書いた人

長野県松本市を拠点に活動する2人組の作家です。

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