――ガタン。
家の奥で乾いた音が鳴った。
琴乃の肩がびくっと跳ねる。
「朱璃、今のって」
「……うん」
一歩前に出る。
――カタン、……カタン。
「え、なに……なにが起きて……」
「琴乃ちゃん、今は何も聞かずについてきて。一人になるのは危ない」
部屋を出て、リビングの方へ向かう。
「私の手を握ってて」
羽海が琴乃の手を取る。
リビングに出ると、気配がはっきりとしてくる。
あのリビングの奥の扉――
「琴乃ちゃん、あそこってなに?」
「え? あぁ、あそこ、親がインテリアの参考に骨董品とか集めてる部屋……」
「ごめん、勝手に入るね」
そのままドアを開ける。
部屋には骨董品が所狭しと並んでいた。
年代物の壺や家具、文房具、印刷機……ANIERAでも見かけない、ダイヤル式のテレビもある。
「すごいね。これ全部両親のコレクション?」
「うんたぶん。私も久しぶりに入ったけど……」
――ガタガタガタ。
部屋の中央だった。
「羽海、琴乃ちゃんをお願い」
「うん、任せて」
羽海が琴乃の前に立つ。
胸の前に手を重ね、結界をつくりだす。
琴乃が羽海の袖を掴む。
「ねぇ……何が起きてるの?」
「大丈夫。私が守るから」
テーブルの上にある木の箱がガタガタと揺れている。
「琴乃ちゃん、そこ動かないでね」
一瞬だけ琴乃の方を見て、テーブルに向かう。
木箱の揺れが激しくなる。
手を伸ばそうとした――その瞬間。
蓋が弾け飛び、中から何かが飛び出してきた。
「あれって……万年筆?」
一本の古びた万年筆。
一瞬だけ宙に浮き、そのままテーブルの上に転がった。
――カリ。
紙をひっかくような音。
次の瞬間、ペン先からインクがあふれ出してきた。
黒い液体が空中に滲む。
そのままゆらゆらと揺れる塊になった。
――ポタッ。
黒い液体が机に垂れる。
「朱璃、あれ!」
羽海が机を指さす。
その先にあったのは白い紙だった。
黒い液体が紙の上に広がる。
ゆがんだ線を描いていく。
ゆらゆらと揺れる。
ゆがんで、形になりかけて――
霧散してしまう。
別の線を描いていく。
また揺れて形にならず消えていく。
読めそうで、読めない。
――この子、何か伝えたがってる。
指先が自然に動いた。
黒い塊に触れて、静かにつぶやく。
「……あなたの想いを教えて」
黒い液体は一斉に広がり、世界を闇が包んだ。
―――
真っ暗な世界に、光が差す。
光は徐々に広くなり、景色が浮かび上がる。
初夏の午後。障子越しの柔らかい陽が部屋を照らしている。
机の上には、広げられた日記帳。
紙の端が少し擦れている。
その傍らに、万年筆はあった。
女性はそれをそっと手に取り、目の前の真っ白な紙にインクを落とした。
庭にアジサイが咲きました。
綺麗なアジサイです。
あなたがいたら、きっと立ち止まってくれたでしょうね。
そして、少し照れたように、良い色だね、と笑ってくれたでしょうか。
誰に伝えるでもない。
ただ、そこには、いつも同じ人がいた。
――あなたがいたら
それが、呼吸するように自然と滲んでいる。
ページがめくられる。
次の日、また次の日。
今日は雨です。
軒先の音を聞いていると、なんだか落ち着きます。
あなたは雨が嫌いでしたね。
髪が濡れるのが嫌だと言っていました。
だから私は、あなたの代わりに、雨を好きでいてあげようと思ったのです。
ページが進むにつれ、文字の隙間が増えていった。
余白が、少しずつ広がっている。
あなたに会えないまま、また季節が変わりました。
最近は、身体も思うように動かせなくなってきました。
もう歳ですね。あなたは、どこかで元気でいるかしら。
頭に流れ込む映像の中で、万年筆のインクが歪む。
まるで万年筆が泣いているようだった。
私は今日も、あなたを想っています。
その一行を最後に、再び世界が闇に包まれる。
湿り気のある黒。
冷たい。
――陌霊の、気配がした。

